スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[--/--/-- --:--] | スポンサー広告 | page top
表現規制反対運動へのご支援を!
たるい良和元議員の「エンターテイメント立国推進協議会」が再始動しました!

たるい元議員が「表現の規制に関して、TPPでの今後のPOPカルチャーの政治的な配慮を求め」として、おそらく表現規制に明確に反対するほとんど唯一の政治団体として再起動しました。


@tarui_yoshikazu
たるい良和


衆議院議員時代に起ちあげたエンターテイメント立国推進協議会、昨今の規制への動向、TPP参加による著作権法の問題などを受け、業界の御支援により緊急再起動することとなりました。 業界・クリエイティブクラスの社会的な地位の向上のために尽力してまいります。



政党やイデオロギーによる入会制限などは一切無い様で、あくまでも「表現規制に反対する」という立場ですので、主旨に賛同される方は是非ご協力をお願いします。

くわしくは、次のバナーから協議会のサイトをお読みください。

エンターテイメント立国推進協議会



うぐいすリボンもNPO法人化を目指すようです

静岡から表現規制反対運動を行っている団体「うぐいすリボン」では、活動資金の確保の強化を図るとともに、NPO法人化を目指しているとのことです。

振替口座を開設しました

うぐいすリボンは、これまで、静岡を皮切りに、東京や関西で「表現の自由」に関する講演会を開催してきましたが、今後も活動を継続していくために、皆様からの寄附を必要としています。

 次の世代に自由な社会と豊かな文化を伝えるため、ぜひ御協力くださいませ。



気になる動きもあります。うぐいすリボン代表のツイートによると、表現規制反対団体へ直接的な攻撃を行っている動きがあるようです。


ogi_fuji_npo 荻野幸太郎@表現の自由(うぐいすリボン)
表現規制に反対している小さな活動団体の役員さんたちに、今、猛烈な圧力が加えられています。得体の知れない連中に郵便物を荒らされたり、仕事を追われたりといった信じられない事件も耳に入ってきました。このままではいけない、何とかしなくてはという思いから、資金力の強化を決断しました。



ogi_fuji_npo 荻野幸太郎@表現の自由(うぐいすリボン)
残念なことに私たちは、「表現の自由を不当に奪わないでほしい」と、当然の権利を主張するためだけに、身を削って政治に影響を及ぼさなければなりません。理不尽ですが、それが現実です。「うぐいすリボン」のイベントにぜひ御参加ください。そして可能であれば費用負担を分かち合ってください。



ここ最近の検閲派の人々の露骨で非常識なツイートや発言を見ていたので、いつかはこういう直接攻撃という暴力を行う検閲派が出現すると思っていたので、不思議でも何でもありませんが、「やはりな・・・」とは思います。

たるい氏のサイトにも攻撃があったようで、なにやらきな臭い動きがあるみたいですね。

tarui_yoshikazu たるい良和
最近、HPの不具合が発生するので、技術者が調べてくれたらサイバー攻撃受けてるらしい…
22時間前


そういえば、最近も某反ポルノ団体がウィキペディアで無茶な要求をしたこともありましたね。

人を人とも思わない、自分の信じる価値観を強要して恥じることのない人々が良識や人権を口にしながら行う卑劣な攻撃に遭遇した仲間のためにも、自分にできる範囲のことをしたいと思います。
スポンサーサイト

テーマ:表現規制・メディア規制 - ジャンル:サブカル

[2013/12/31 00:00] | 表現規制 | トラックバック(0) | コメント(6) | page top
松浦ダイゴ候補の出陣式へ出てみました
出陣式へいってみました


今まで更新をさぼってきましたが(すみません)、選挙が近づいたので秋田の情勢になどについて。

昨日4日の公示日に松浦ダイゴ候補の出陣式があったので事務所に行ってみました。


松浦ダイゴ公式ウェブサイト


松浦ダイゴ候補出陣式2013



まず、秋田県内の表現規制反対派の方には(右も左も関係なく)すでの承知のことと思いますが、参議院秋田選挙区には、表現規制問題で先頭に立って尽力されてきた松浦ダイゴ議員が出馬しています。

票集めのための規制反対ではなく、実際に規制問題がネットで大きくなる前からこの問題に取り組まれ、実際に民主党内を表現規制反対である程度まとめるなど、実績があります。

もちろん、表現規制問題だけでなく、LGBTなどのマイノリティ問題や自殺問題にも精力的に取り組み、党を超えて活動し、実績もあります。

松浦ダイゴ候補の公式WEBサイトには今までの実績の他に公約も掲げられています。

公約では、わざわざ表現規制問題のための項目も入れるほどの力の入れようです。

世界が注目する「クール・ジャパン」は自由な表現から
・コンテンツ産業を委縮させる不合理な表現規制に引き続き反対


 個人的には(皆さんもでしょうが)大学認可の問題しかり、鳩山元首相の尖閣発言しかり、言いたい事はいろいろありますが、表現規制問題に真正面から取り組まれた松浦ダイゴ議員は国会に必要な方だと思っています。

秋田県内の有権者の皆さんで、かつ、表現規制に反対する方はぜひ松浦ダイゴ候補を応援していただきたいと思います。


みんなの党の応援

秋田選挙区は1人区です。
以前報道された通り、みんなの党は1人区を中心に民主党と選挙協力を一部で行うことになっています。

わが秋田県においては、新聞報道でいわれていた通り、みんなの党は松浦ダイゴ候補を応援することを正式に決定したようです。出陣式においてみんなの党の寺田典城参議院議員からメッセージが届けられていました。

(ちなみに寺田学前衆議院議員は寺田典城議員の息子さんです。出陣式にも顔を出しておられました)

ということで、秋田選挙区では衆院選と異なりみんなの党と維新の会は競合状態となっています。

共産党と無所属の候補については表現規制のスタンスはわかりませんが、共産党は党として表現規制反対ですので、共産党支持でかつ規制反対の方は投票先にこまることはないはずです。

選挙情勢については、正直に言って「わかりません」としか言えません。
民主党への逆風が強いなかでどれだけ耐えられるかは微妙なところですが、出陣式に出席した桜井政調会長いわく「勝つ可能性がある選挙区のひとつ」ということらしいので期待したいところです。

たるい良和(民主党・比例)もお忘れなく

この分野についてこれ以上なく明確な意思を持っておられる候補の一人として比例区で出馬した「たるい良和」候補もお忘れなく。

秋田県内の方で、規制反対派の方は小選挙区は「松浦ダイゴ」、比例区は「たるい良和」で投票していただけると規制反対運動には大変助かります。





自民党支持者は比例で

さて、ここまで民主党について書いてきましたが、秋田県内の表現規制反対派には自民党支持者もおられることと思います。

そこで、2点ほど。

まず、小選挙区では残念ながら表現規制反対派にとって特に見るべき情報はありません。
すくなくとも、秋田選挙区の自民・中泉松司候補はこの問題についてこれといった見解は出していません。

では、秋田県内の規制反対派である自民党支持者がどこに入れたらいいかといえば、「比例区」にいます。

この問題で自民党比例区で規制慎重寄りの姿勢を明確にしている候補は、「伊藤ようすけ」候補です。

候補の公式WEBサイトでは、次のように公約を掲げています。

伊藤ようすけが目指すこと

日本の文化資源を「発掘」「育み」「守る」→ 世界へ宣伝します
アーティストや伝統芸能継承者などの育成事業について、一部のジャンルに限られている「支援ジャンル」を拡げ、世界に挑戦できる人材を育成する。

クールジャパンとは何か? 誰のための政策なのか? といった戦略目的を明確にし、わかりやすくPR。誰でも簡単に参加できる仕組みを作る。
日本のエンターテイメント発展を妨げる規制を見直します
あらゆる場所において「歌う」「踊る」ことが法律で過度に規制されないよう、法律の解釈運用基準を明確にする。

ライブやイベント活動において、アーティストの演出を妨げる過度な規制項目を見直し、世界トップレベルのライブ演出が行えるようにする。

表現の自由を守ることを目的に、児童ポルノ禁止法における「児童ポルノ」の定義ついて議論を深める。 

※太字は引用者



とういうことなので、自民党支持者の方々は御一考いただけますと幸いです。
比例区では政党名ではなく、名前で投票することを強くお勧めします。
(政党名で書いてしまうと、最近秋田にも進出した某ブラック企業の経営者にも票を入るも同然ですのでご注意を)






自民も民主もいやなら比例は共産党または谷岡クニコ候補へ


民主も信用ならんけど、さりとて自民もちょっと、という方は、比例においては共産党に入れることをお勧めします。

共産党は党の意思として表現規制に一貫して反対してきました。
先日行われたニコニコ動画の党首討論でもはっきりと明言していました。

みんなの党の表現規制問題の急先鋒は山田太郎議員ですが、山田議員は今回非改選なので、秋田選挙区にはあまり縁がありません。

ただし、前述したように秋田選挙区ではみんなの党は松浦ダイゴを応援するので、みんなの党支持者の方も松浦ダイゴ候補にお願いします。


みどりの風の谷岡くにこ候補も表現規制反対派ですのでおすすめです。
全国比例なので秋田県の有権者も投票できます。

まあ、いろいろ書きましたけど、せっかく選挙権をもっているなら、どこを支持しているかは問いませんから、ちゃんと選挙に行きましょう!ということですね。

テーマ:表現規制・メディア規制 - ジャンル:サブカル

[2013/07/05 02:05] | 表現規制 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
山田太郎議員「この事を拡散して下さい」
山田太郎議員の報告「高市早苗議員が児童ポルノ法の趣旨説明に」

最近、いろいろあって記事の更新が滞りがちなのですが、みんなの党の山田太郎議員がご自身のFBページで貴重なことを報告されていますのでお知らせします。

 みんなの党といえば、前回の参院選でのとんでもない前科(とある検閲派弁護士を公認した。ただし、ほとんど得票せず落選)があるのですが、実は川田龍平議員のように検閲反対派も在籍しているちょっとややこしい(?)政党です。

 検閲の危険性自体は渡辺代表も理解されておられるようなのですが、(政党擬人化政党たん ~解散総選挙編" インタビュー記事参照のこと)、みんなの党にはほかにも明確に検閲反対の姿勢の方がほかにも何人かいて、その中でもさらに有名なのが、こちらの山田太郎議員です。


山田議員のお考え自体は、こんな感じです。


山田太郎議員のFBより

児童ポルノ規制と表現の自由の問題は、私が政治に立候補した原点の一つでもあります。
(略)


私、山田太郎の基本的なスタンスについてお話しすると、この児童ポルノ規制の問題にかかわらず、政府による規制強化には反対です。

(略)
経済活動を行っていくうえで、一番怖いのは規制そのものではなく、規制を設けることによる自主規制(ルールを犯すことを避けようとする意識が働くために、ルールの範囲内の活動に対しても、自ら制約をかけ活動が萎縮してしまうこと)の広がりなのです。
(略) 特に、児童ポルノ規制や個人情報保護法など、ルールの境目が明確に引けないものについては、過度な自主規制が生まれてしまうのが現実です。

(略)
もちろん私は実在(三次元)の少年少女を対象にした児童ポルノ規制に対して反対をしているわけではありません。
実在しない、マンガ・アニメ(二次元)の場合は被害者はいないのに、二次元のものと三次元とを一緒に議論すること自体がナンセンスだと言いたいのです。
(略)
二次元児童ポルノの対象となるマンガやアニメを好むという嗜好に対して嫌悪感を抱く方も少なくないでしょう。
ただ、自分の趣味・嗜好と合わないからといって、そのもの自体を制限することが出来るのでしょうか。
私自身は他人に迷惑をかけない限り、その権利は誰も奪うことの出来ないものだと考えています。



 そして、今回、山田議員は高市氏議員がみんなの党に児童ポルノ法の提出について説明に来たと報告されました。



※引用者が適時改行しています。
フェイスブックの当該ページはこちら

2013年4月26日

本日、みんな党政調会議に自民党の高市早苗議員がやって来ます。児童ポルノ規制法案提出についてのみんなの党への説明です。本法案が高市議員の議員立法だとしても自民党政調会長自らが直接やって来るのは異例中の異例です。
 この法案は、児童ポルノを厳しく取り締まるという目的の他に、非実在、つまりアニメなどの表現規制にもつながる可能性がある問題の法案です。例えば、ドラえもんの静かちゃんの入浴シーンやクレヨンしんちゃん、もしかしたら天使の裸の絵も取り締まりの対象になる危険があります。
 
 仮にそれらは、卑猥ではないと取締りの対象にならなくても警察からとやかく言われたくないとアニメやマンガ業界が自主規制の名のもとに保守的になる可能性もあります。似た現象は、個人情報保護法の扱いにも現れています。あれもこれもダメなのではないかと、とうとう名簿があらゆる団体、社会から消えてコミュニティ作りにも支障を来たしています。この法案、単純所持も刑事罰の対象ですから、児童ポルノ写真を誰かに送りつけられて来ただけでも所持時点で犯罪者になりかねません。


 サブカルチャーが若者達の文化、そして日本の大切な産業にもなっている今、本法案については内容を徹底的にただしていく必要があります。実在の児童ポルノは取締るにしても、非実在、つまりアニメやマンガ、あるいは絵などの表現の自由をどうやって守るのか。

 いきすぎた自主規制は、お隣韓国などでもアニメ衰退の問題に発展しています。
 
高市議員の提出するこの法案、表現の自由を守るために、また、サブカルチャーの勢いをなくさないために体を張って中身を問いただしていきます。政治家としても重要な局面だと考えています。

 この問題を考えている方は、新たな世論形成も大切です。この事を拡散して下さい。憲法議論も活発になられるようになった今、若い人達の魂にも関わる大切な議論です。いち国会議員の抵抗だけでは巨大与党には勝てません。

 世論の力が大切です。



 以上の通り、この山田議員のコメントはこれ以上ない正論です。

 高市議員が前のめりでこの法案を通そうとしているのは、読売新聞の報道などでも周知のとおりです。

 山田議員がおっしゃる通り世論の力が必要だと思います。
 

テーマ:表現規制・メディア規制 - ジャンル:サブカル

[2013/04/26 13:08] | 表現規制 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
憲法21条の権利を保障する法律がない不思議
憲法第21条を保障る法律はない。規制する法律はあるのに

20130129.jpg

昼間に桜宮高校の記事を書いていたため、同じ日に2本記事を書くことになりましたが、本当はこっちがメインです。

なぜ今タイトルのようなことを持ち出したかといえば、件の会田誠展へのいいがかり問題が起きたからです。



 ここでは会田誠氏の作品への論評はしません。本題ではないので。

 問題なのは、今回のように、ゾーニングをするなどの対応をしているにも関わらず、なおも発表の場自体を奪おうとする行為について、法律上なにも問題とされていないことだと思います。


 憲法では「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」とされています。

 ところが、憲法ではこれを保障していますが、法律レベルでこれを担保しているものが何もないのです。

 もちろん、諸外国でも「表現の自由」を保障する法律自体はあまり存在しません。


 表現の自由はぜい弱な自由であるといわれています。今回のように、検閲主義者の団体が特定のアーティストの発表の場を簒奪するような行為が繰り返されると、委縮効果により発表ができなくなったり、あるいは、筆を折られるようなこともあり得るからです。

 また、少数派の表現は多数派の主張により押しつぶされることも頻繁に起こりえます。

 法律や条例レベルでは、むしろ特定の表現に規制をかけることがほとんどです。

 青少年条例はその最たるもので、「単に売り場をわけるだけ」という名目で、事実上の廃刊も強要できる代物です。

 一方で、「他人の表現の場を奪おうとする主張」や「特定の表現者やその支持者を誹謗する主張」も「表現の自由」の行使とみなされています。
 
しかし、国がクールジャパンを売り出そうとし、世界が「文化」による影響力を認識している中で、このままでいいのでしょうか?



さまざまな「権利」を保障する法令


法律を学んでいる方は特にご存じだと思いますが、憲法の第3章には様々な権利や自由、(そしていくつかの義務)が規定されています。

ここでの規定には義務・権利ともに、それを担保するために様々な法律が施行されています。

たとえば、信仰の自由は宗教法人法に次の規定があり、法律でその自由が担保されています。


宗教法人法第一条第2項
 憲法で保障された信教の自由は、すべての国政において尊重されなければならない。従つて、この法律のいかなる規定も、個人、集団又は団体が、その保障された自由に基いて、教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を行うことを制限するものと解釈してはならない。



学問の自由については、教育委員会や大学の独立性が法律で定められ、間接的に保障さています。

勤労の権利や義務は労働基準法、労働者の団結権は労働組合法、適正手続きの保障は刑事訴訟法、民事訴訟法で、25条の文化的な生活は、社会福祉関連の法でやはり保障されています。

 ところが良心の自由・表現の自由については、これを国民に保障する、あるいは担保する法律や制度がほとんど、というか全く存在しません。

このため、今回のような検閲主義者の妨害行為に対しては、通常の民法や刑法、あるいは迷惑防止条例などで対応しなければならないため、さまざまな点で防御手段が限定されてしまっています。

 過去にその影響でなんども理不尽な自粛嵐が起きていることを考えれば、21世紀になった今、そろそろ新しい考え方をしてもいいころではないでしょうか?



表現の自由を奪う「具体的な行為」について歯止めをかけるべき

この手の話をすると、必ずこういう反論が起きます。

「表現の自由を奪うという主張も、表現の自由だ」

私も、基本的にはこの意見に賛成です。
その内容がいかなるものであっても、それが「表現活動」にとどまる範囲であれば、認められるべきです。

しかし、その主張を具体的な行動に移し、他人の表現の自由を奪う具体的な行為に至った場合、それはもはや「表現」ではなく、あからさまな「表現するな」という「要求」になります。

 現状では、暴行や脅迫がないと事件化されることもなく、民事で訴訟を起こしても、せいぜい「中止させる権利がない」ことを確認する訴訟を起こせるぐらいでしょう。

 しかし、これでは、たとえば表現の自由が守ろうとしている「少数者の表現」を守ることが困難です。

検閲主義者はよく「署名」という形を利用して中止を強要しようとしますが、これはまさに数を示すことで特定の表現を奪おうとする行為そのものです。こうした署名活動などがなんの法規制もなく行われていることは、非常に問題であると考えます。

 特に、新たな権利を付与したりするのではなく、誰かの権利を制限したり、特定の集団の自由を奪うものである内容であれば特に問題です。

 したがって、私は、表現活動に関する規制が増加することは不本意であるけれども、「他人の表現の場を奪う」主張をして、その主張の内容を実現するために「具体的な行動に着手」する「行為」について、その「行為」について一定の禁止と処罰を法制化する時期に来ていると考えています。





範囲は狭く限定的に

では、仮に法規制をかけるとした場合、どの範囲までを要件とするべきでしょうか?

もちろん、法規制などしないことが最善であることは明らかですが、表現の自由を認めない検閲主義者は、自分はその自由を最大限享受しながら、他人にはそれを許さないという考えの持ち主ですから良識を期待することはもはや不可能です。

 だとすると、「誰かの作品を発表するな」といったら即違法とすべきなのでしょうか?

それでは批評が成り立ちませんし、作品や創作の中の表現すら違法になりかねません。


そこで、私が法規制をするために、法で禁止する行為を次のようにしてはいいのではないかと考えています。

法で禁止すべき「検閲類似行為」
以下の要件をすべて満たす場合を検閲類似行為とみなして処罰する

1 裁判所の決定または確定した判決、その他法令上の執行名義が有さない者(団体)が、
2 特定の表現をしたもの、あるいは特定の著作物の権利者に対し、
3 その表現物の公表、展示、販売、制作を取りやめさせるために、
4 不利益を与えることを通知し、危害を加え、威圧し、困惑するなどの行為の実行を告げ、または暗に示し、
5 2に上げた権利者等にその著作物等の公開、販売、展示、制作の一部または全部を取りやめるよう要求した場合

ただし、告訴権者が告訴しなければ公訴を提起できないものとする。

また「その著作物により表現された特定の名宛人」「秘密の暴露、営業上の秘密などにより、公表により直接的に具体的な被害を強く予見しうる相手方の利害関係者」「当該著作物が盗作である場合は真正の著作権者」「著作物または演劇などにおける演出でした行為」については適用しない。




 仮に上記の区分で処罰する場合、作品の中のフィクションである場合やパロディであれば処罰されませんし、単に作品を批評したり、「こんなものみるな」とTVで話したりしても構成要件に該当しないはずです。
 
 また、署名を集める場合でも「この作品のこの部分に抗議します」というような内容であれば問題ないはずです。

 一方、仮に、「撤去しなければ国際的に問題にする」とか「展示をやめないと会場を爆破する」などと脅迫する場合や、脅迫しない場合でも、相手に「展示するなら抗議活動をおこすぞ」等のように告げて要求するんど絵あれば処罰の対象になるはずです。




「特商法」を参考に

私はここ数年の検閲主義者の言動を見て大きく考えが変わってきています。

かつて、私は「表現を奪う主張」も表現の自由の中では等価である、と考えていました。

しかし、私は、今はそう考えていません。

今の私の考えはこうです。



表現の自由を否定する主張は、それが表現の中にとどまる限りは当然に表現の自由により保障される。
しかし、それが具体的な行動に至った時は、それはもはや「表現」ではなく「行為」であり、表現の自由の埒外である。



表現行為、つまり、それが他人や社会に働きかけを行わない、単純な表現行為である場合や、相手になにも不利益を要求しない単なる批評行為であるなら、それは明らかに「表現」の一つですから、表現の自由によって守られるべきです。たとえそれが不愉快なものであったとしても。

しかし、それが、たとえば署名活動を通して誰かに何かを要求する行為はもはや「表現」などではありません。
物を買ったり、車に乗ったり、学校に通ったり、役所で住民票を請求するのと同じ具体的な「行為」であって「表現」ではありません。

デモや集会であっても現実には様々は法により「行為」が規制されます。
集会やデモはもちろん「表現」の一つとして認められますが、だからと言って他人の敷地に無許可で入ったり、他人の物を壊してよいわけではありません。
(物を壊す場合でも、持ち主の許可を得ていれば問題ないわけですから、「表現の内容」ではなく、他人の物を壊すという「行為」について処罰されるわけです)


以上の観点に立って考えれば、他人の展示会を利害関係者でもないのに中止するよう要求するような「行為」を禁止する立法はありえるのではないか、と考えています。

 ここで、先に述べた処罰内容を見てこう思う方もいるかと思います。

「それは強要罪や威力業務妨害罪で対応できるのでは?」

確かに、それはその通りですが、刑法による処罰はハードルが高く、実際には困難です。

そこで、私が考えているのは「特定商取引法」の考え方です。

この法律では、「不実の告知」や「威圧、困惑」による契約を処罰していますが、これは「詐欺」や「強要」などの構成要件のハードルをさげ、より適用しやすくするものです。

つまり、「不実の告知」と「詐欺」は観念的に競合しますが、詐欺の構成要件にあたらなくても、不実の告知には該当しうるわけです。

これにより、「詐欺」による契約も間接的に抑止しているわけです。

これと同じように、展覧会中止の検閲要求について、「強要」や「脅迫」に至らない場合でも、処罰できるようになれば、相当の抑止力になるかと思います。

 同時に、この処罰規定があっても、作品の内容にまで保障をするものではありませんし、作品が名誉棄損などに当たる場合でも、民事上の責任追及ができなくなるものではありません。



クールジャパンをいうなら、金ではなく自由を
 
政府が「クール・ジャパン」と称して、今まで悪者扱いしていた漫画・アニメ・ゲームに一定の支援を始めたことは評価しています。

しかし、現在の政府がいう支援はつまるところ「金」です。

ですが、創作者に必要なのは「お金」よりも「自由の保障」です。

 今回のように、自分の不快な作品を勝手に正義の代弁者となって検閲を要求するような団体が何の法規制もなく活動しているような状況が続けば、自由な創作環境は失われ、結果として「クールジャパン」はしぼむでしょう。

 今までのように「規制反対」だけではなく、こちらの武器となる法律も考えていいような気がします。


まあ、こういった規制法を作るのは自由の制限につながるのであまりいいことではないと思います。
 
 ですからないほうがいいものではありますが、一つの考えとしてはそれほど間違っていないのではないかと個人的には思っていますが、みなさんはどう考えますか?

テーマ:表現規制・メディア規制 - ジャンル:サブカル

[2013/01/29 21:57] | サブカル | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
「自殺した奴のせいで・・・」になりかけていないでしょうか? 「桜宮応援団」への疑問
体罰容認の文化は体育会全般の問題



 個人事業者のいい点は休憩を自由にとれる点ですが、その休憩中にいろいろ疑問に思うようなニュースに出くわすと仕事そっちのけとなるのは悪い点です。もっとも仕事熱心じゃないせい私の資質が単にそうさせているだけかもしれませんが。

 さて、体育会系なノリとマッチョな思想が大嫌いな立場として、桜宮高校での体罰問題は無関心ではいられません。



大きな地図で見る
大阪府立桜宮高校は典型的な都市立地のスポーツ校



 なぜかといえば、この「強い部活のためなら体罰も仕方ない」というような体育教師は、たいていその思想を体育の授業や無関係の部活にまで(文化部系の部員への態度や姿勢なんかですね)持ち込むからです。

 そんなことはないだろう、と思う人もいるでしょうが、あります。特に地方都市では。

 現に、私は秋田で中学・高校を出ましたが、すべての授業でまともな体育の授業を受けた覚えはなく、指導もせずにただバスケやらサッカーやらソフトボールやらをやらせてみてるだけ、という授業をしたり、あげく、「精神主義」を生活指導などでやたら主張したりしたりするという、私から見れば「なんでこんな仕事で給料もらえるんだ?」と疑問に思う体育教師が当たり前のようにいました。

 もちろん、私が知っている中には、理論や指導を徹底するまともな体育教師もいます。が、私が知っているかぎりごく一部で、差別と思われても仕方ないと思いますが、「体育教諭とは授業計画も指導もできないものがほとんど」という印象です。

 そして、こういう「精神主義」「体罰容認」「指導力不足」の教員を生む背景が、桜宮高校で表面化したような体罰すらも黙認する「伝統ある体育系」の高校・大学だ、というのが私の認識にあります。

 私にも身内に体育教師がいて、彼の同業者の批判をするのはあまりいい気がしません。しかし、その身内からも他校の体育教諭の指導方法が「おかしい」という愚痴を聞きます。(体育祭なんかでなにも指導もせず「走れ」としか言わないような指導をする教師が多い、という話などをよく聞きます)

 勉強や美術・芸術分野と同じようにスポーツも「才能の一つ」に過ぎないことを忘れ、「頑張れば必ずできる」とか「できないのは怠けているから」「強くなるには体罰も必要」などと非理論的な指導が横行すれば、その指導を受けた教え子がそれを「正しい」と信じてしまうのも避けがたいことでしょう。

 つまり、「体罰容認」「非論理的な精神主義」の伝統は体育会系全般の問題であり、桜宮高校だけ問題ではないのです。

 と、同時に教員の体罰による自殺者が出てしまった学校について「体育会系全般の問題だから」といってその問題を薄めることはできません。

 なぜなら「体育会系全般の問題」は他校にも共通する問題ですが、再三の改善の機会を見逃し自殺を招いたのはほかならぬ「桜宮高校」の校内文化と組織の問題だからです。

 他校でも体罰による傷害や退学、退部が発生していますから、もちろん、同じような問題は抱えていますが、少なくとも現時点では教員による体罰にいる自殺者が直近で発生したのは桜宮高校だけです。

であれば、その校内の文化や風潮に対して一定の疑義が生じるのは当然であり、学生の安全を担保するために必要な処置がとられるのも当然です。





なぜ「応援団」なの?

 こうした点を考えると、私は「桜宮応援団」なる存在に対して極めて大きな疑問、正確にいえば、相当の不快感を感じざるをえません。

なぜかといえば、少なくとも新聞記事を読む限りにおいて、事件の再発を防止しよう、自殺した子を悼もう、という姿勢が全く感じられないからです

「桜宮応援団」保護者らが結成、部活再開要請へ

大阪市立桜宮(さくらのみや)高校の体罰問題を受け、活動が休止したままの同高運動部を支援しようと、在校生の保護者や卒業生、弁護士らが27日、「桜宮応援団」(仮称)を結成した。

 部活動の早期再開を求める一方、橋下徹市長が主張する同高教員の総入れ替えに反対する要請書を、近く市教委と同高に提出することを決めた。

 この日、大阪市内で開かれた結成集会には約170人が参加。呼びかけ人の伊賀興一弁護士(大阪弁護士会)が「体罰のない学校づくりを目指し、生徒と保護者、教員が議論しあえる場をつくらなければいけない」と結成趣旨を説明、参加者が拍手で賛同した。今後、意見交換し、体罰の再発防止に向けた改善策を提言する。ただ、団体名については一部異論があり、決定は先送りとなった。
(2013年1月28日10時52分 読売新聞



 あらかじめ書いておきますが、私は弁護士の任務は人権の擁護であるので、公権力の行使により権利が制限されるような事態に弁護士が対応することは間違いではないと思っています。そうでなければ社会の少数者は擁護されえないからです。

 また、在学生が事件ゆえに部活動等ができなくなるのであれば、教育的な観点から何らかの配慮なり代替措置などが講じられてしかるべきなので、それを要求することも必要であると考えます。

 ですから、「入試中止反対」「部活再開」「教員入れ替え反対」という意見があったとしても非難はしません。

 非難はしませんが、それでも、今回の「応援団」の結成については、伊賀興一弁護士には大変も申し訳ないのですが、全く支持できない、というのが私の意見です。


 まず、考えなければならないのは、自殺者が出るような体罰が「伝統」や「強い部活」の名のもとに黙認されてきたことです。
 これは、つまり、桜宮高校にはこういうことを生みだす体質があるということにほかなりません。

この点に関しては、私の言いたいことは教育評論家の尾木直樹氏と社会評論家の宮台真司氏が語ったこととほぼ同じです。

尾木ママこと尾木直樹氏と宮台真司氏の大阪市立桜宮高校体罰事件についてのコメントが鋭い音声・文字起こし)。関心空間 より引用

(抜粋)
◇アナウンサー「で、今回の問題に関して、文部科学省の義家弘介(よしいえ・ひろゆき)政務官が現地調査を行いました。で、義家氏は、生徒の自殺後、この桜宮高校の佐藤校長が、遺族に、こう言いました「1月の新人戦に出場していいか?」と、問い合わせをしていた、と言うことが明らかになりました。で、新人戦と言うのは、大阪府内の高校のバスケットボール部、これが参加するものです。で、今月(2013年1月)の13日開幕。桜宮高校は問題発覚を受けて出場辞退しています。えー、この義家氏はですね、学校側のこの対応について「当事者意識の乏しさに対し、保護者は大きな不信感を持っている」と述べましたが・・・、これは、そうですね~」

△尾木「こ~れは、また、聞いたこともないですよね。遺族に、新人戦出てもいいですかって、自分たちの教師が(生徒を)自殺に追い込んでおいてですよ、新人戦出てもいいですかって・・・ とんでもないでしょ!反省も出来てなければ、どういう方針で、改めていくとかね、決意の表明も何もなしに、新人戦出ますって、出てもいいですかって・・・・」





◇荒川「うーん、だけどその先生の問題だし、その先生を野放しにしておいた学校の問題ではあるけれども、子供達には、それは、全然関係ないことじゃありません?ちゃんと受け入れて、そしてそういう悪しき因習をキレーイに、そのもう一度、見直して、えー!?、行きながらってのは、できないんですか?」

△宮台「でも、前回そういう問題が起こった時にそういう宣言がなされているにも関わらず、同じことが繰り返されたので、二度あることは三度あるですからね。何か組織文化に問題があるのかもしれませんよね。そしたらその組織文化が変わったのかどうか、事情によっては体罰もありだというような、親や!子供達がね!沢山いるということによって、いわば励まされた教員がね、本当はやっちゃいけないんだけども、またやっちゃうってことがいくらでも起こりうるでしょ。だからやっぱり受け入れはダメですね。実際、親や子供達がこの先生を庇ってるでしょ。だったら尚更ダメです。で、世間も庇ってるでしょ。だったら尚更受け入れてはいけない。絶対に!それが筋ですね。それが行政の責任です」

◇荒川「しかし市民がいいって言ってるんならいいんじゃないんですか?」

△宮台「だからダメなんです!市民がいいって言ってるからまた同じことをする可能性があるんです」

◇荒川「いや、だからそこはね、きちっと・・・、そのままズルズルやれって言ってんじゃないですよ、大きく変えてくれと・・・」

△宮台「だったら大きく変えるのが先なんです。そうでしょ?変わるかどうか分からないんだから」

◇片桐「その生徒たちを受け入れながらっていうのは無理な話しなんですか?」

△宮台「ダメですね。変わらないかもしれないでしょ?今までダメだと分かってたのに繰り返されてるんだから」

◇荒川「それこそ、だから、父兄がきちっと、常に、そこは、チェックしているって言うことで、いいんじゃないんですか?」

△宮台「でも実際そうなってなかったですよね。世論的にも父母も、そういう事は(体罰は)仕方ないと言っている。そういう人たちが多数かどうかは分からないが、非常に大勢いて、それが体罰をしている先生たちを勇気づけてきたことは明らかですからね。」






 応援団の存在はこうした点への疑問や疑義について何の回答にもなっていません。少なくとも私にはそう見えます。

 本当に体罰をなくし、良い伝統だけを残したい、と思うのであれば、具体的に何をどう改善し、生徒の安全を確保し、教員の意識改革を行うのか、今まで体罰や精神主義の横行を黙認していた生徒や保護者にどう意識改革を働きかけるのか、その具体案の提示があってしかるべきですが、今回「応援団」結成についてそうした点について何も聞こえてきません。

もちろん掛け声は聞こえてきます。それはJ-CASTによると次のようなものです。

(1)体罰のない桜宮高校をみんなで作ろうという呼びかけ
(2)当事者である教職員、生徒、保護者が意見できる場所が今までなかったという批判
(3)授業内容のカリキュラムを受験生や保護者に向けて明らかにするよう学校に要請しようという提案
(4)橋下市長が生徒や保護者も体罰の共犯者、加害者であるような言葉の暴力をふるっており、桜宮高校の生徒が不当なバッシングを受けたり、自転車を壊されたりという二次被害が出ている。市教委は生徒の心のケアを行うべきという意見
(5)橋下市長が提案する教職員総入れ替えは、桜宮高校改革の障害にしかならない。問題のあった教員もそうでない教員も参加する会議を行い、その中で教員が責任を取っていく形にしようという提案

これらは50人規模の保護者やOBの集会で出たものだといいますが、別段、これらが方針や具体案となったわけでもなく、「こういう意見があった」というだけのことです。

 そもそも自殺した生徒の1周忌も済んでいない、教員の処分についても刑事裁判の結果もでていないこの時期に「応援団」を名乗ること自体が、「教員の体罰で生徒が自殺した」という事実を軽視していることの何よりの表れと受け止められて仕方ありません。



まるで自殺した生徒が悪いかのよう

 そもそも、生徒は今回の事件の「加害者」ではありません。

 しかし、「被害者」でもありません。

 被害者は生徒、教員、保護者が一体となった「体罰黙認の伝統」により自殺に追い込まれた生徒とその遺族であって、桜宮生が「私たちも傷ついた」などといってよいものではありません。

 実際に記者会見を行った女子生徒は「市長も体罰容認を撤回したが、私たちも気がついた」旨を発言していましたが、それはつまり「いままでは体罰がいけないと思わなかった」ということです。こういうことを「黙認」というのです。

 その体質を改め、入学する後輩たちに「安心して勉強できる」とはっきり言える環境を作ることが事件の教訓への唯一の回答であるにもかかわらず、「橋下市長は言葉の暴力をふるっている」というような言葉が先行しているように見受けられます。

 特に気になるのは集会で出たという次の言葉です。

「橋下市長が生徒や保護者も体罰の共犯者、加害者であるような言葉の暴力をふるっており、桜宮高校の生徒が不当なバッシングを受けたり、自転車を壊されたりという二次被害が出ている。市教委は生徒の心のケアを行うべきという意見」

 もちろん生徒に罪はありません。しかし、生徒の会見などでたとえば体罰の黙認が横行していた事実があるのに「黙認なんかしていない」と発言したり、校内の文化・風潮に疑義が生じているのに「伝統を守りたい」というような発言をすれば反発を受けることは最初からわかっていたはずのことです。

 もちろん、女子生徒が記者会見で発言したこと自体は私は咎めません。

 問題なのは、そういう記者会見をなんのフォローもなく行わせたり、教員ではなく生徒を矢面に立たせたりした大人側です。

 はっきり言えば、OBや関係者が体罰黙認の伝統をごまかすためにした、一連の自己弁護がこうした問題をより増幅させ、反発をあおり、問題の所在をあいまいにしていることは明らかだと思います。

 そうした無責任な自己弁護のタレ流しが、結果としてしわ寄せを現役生徒に向かわせているだけのことだと私は考えます。

 また、在校生に関しても、本当に教訓を生かそうとしている気があるのか、甚だ疑問です。

 率直にいえば、「自殺した奴のせいで面倒なことになっている」とどこかで考えているのではないでしょうか?

 入試が中止になっても、在校生、とくにこれから卒業する生徒には基本的には影響はほとんどなかったはずです。反発の理由のどこかに「入試が中止になった事件の起きた桜宮の出身者」とみられるのが嫌だという思いがどこかにありませんでしたか?

 生徒やOB、関係者の意見を見ている限りにおいては、まるで「自殺した奴のせい」で迷惑だと言っているようにしか聞こえません。そうでないのであれば、なぜ無神経にも「応援団」等という言葉を使うのでしょうか?

 私にはまったく理解できません。自殺した子を貶めてまで、あるいは、自殺した子の存在を軽くしてまで守らなければならない「学校の伝統」とは一体何なのでしょう。


私が市長でも入試中止

 私も一応リベラルであり、どちらかというと橋下市長には批判的な立場ではあります。
以前も市長の交通政策についてブログで批判していますし、今もその立場はいささかもかわりません。


 しかし、今回の件に関して言えば、私が市長でも入試は中止したでしょう。


橋下市長の思想や人柄がなんであれ、「教員の体罰により生徒が自殺した」にも関わらず、こうした「応援団」ができてしまうような文化が根付いているような状態では、結果的に正しい判断だったと言わざるを得ません。

 なぜなら、こうした文化が根付いているなら、そして、部活や学校の伝統のほうを、生徒の自殺よりも重きを置いているとしか思えないような状態であるなら、第2第3の自殺者を生むのは時間の問題だからです。

 学校は授業を受け、勉強をする場所であり、本来は生徒同士が「楽しく」すごすすべき場所です。

 私も経験上「学校に行きたくない」ほどのいじめを受けていたころがあります。

 だからこそ、こういう思いをしながら毎日学校に通わなければならない生徒には深く同情せざるを得ません。

ゆえに、そうした思いを制度的に、文化的に生みだしかねない状況を伝統の名の元に美化してしまう現状を容認することは絶対にできません。

 入試は看板の掛け替えに過ぎない、という方がいますが、普通科であれば体育の部活への入部強制は基本的にないはずです。そうであれば、退部することもできますから自殺を予防する縁にはなるかもしれません。

 また、体罰により入試が中止されたという事実は、今後の桜宮再生において少なからず教訓になるでしょう。

しかし、もしここで、入試も中止せず、対策も立てずに部活も再開させていたら、自殺の問題はあっという間に風化させられ、「自殺した子が特異だっただけ。体罰も必要。顧問は運が悪いだけ」ということになるだけだったでしょう。

 現に再三の指摘にも関わらず体罰を行い、バレー部顧問に至っては学校が「若い教師だから将来を考えて」と揉み消したわけです。

 こうしたことを行う学校が、生徒を受け入れながら校内文化を改善できるわけがありません。

 いやできる、という方は、ではどのように改善できるのか、その手段はなにか、そして、そういう信頼をするに値する担保はなにかを明確に提示すべきだと思います。しかし、今、それは誰もできていません。


 である以上、「応援団」を名乗る団体の存在は、関係者の皆さんには申し訳ないですが、理論的にも道徳的にもきわめて問題があると考えます。

 そもそも、改善案を提示し、部活を安全に再開させ、生徒の安全を確保したいのであれば橋下市長を非難する言葉を口にする必要はなく、むしろ、提案を積極的に行い協力を要請すべきでしょう。
 それができていない以上、やはり、「応援団」の存在は有害無益だ、と私は考えます。

 

テーマ:社会ニュース - ジャンル:ニュース

[2013/01/29 13:24] | コラム | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
| ホーム | 次のページ>>
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。