スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。

表現規制反対運動へのご支援を!

たるい良和元議員の「エンターテイメント立国推進協議会」が再始動しました!

たるい元議員が「表現の規制に関して、TPPでの今後のPOPカルチャーの政治的な配慮を求め」として、おそらく表現規制に明確に反対するほとんど唯一の政治団体として再起動しました。


@tarui_yoshikazu
たるい良和


衆議院議員時代に起ちあげたエンターテイメント立国推進協議会、昨今の規制への動向、TPP参加による著作権法の問題などを受け、業界の御支援により緊急再起動することとなりました。 業界・クリエイティブクラスの社会的な地位の向上のために尽力してまいります。



政党やイデオロギーによる入会制限などは一切無い様で、あくまでも「表現規制に反対する」という立場ですので、主旨に賛同される方は是非ご協力をお願いします。

くわしくは、次のバナーから協議会のサイトをお読みください。

エンターテイメント立国推進協議会



うぐいすリボンもNPO法人化を目指すようです

静岡から表現規制反対運動を行っている団体「うぐいすリボン」では、活動資金の確保の強化を図るとともに、NPO法人化を目指しているとのことです。

振替口座を開設しました

うぐいすリボンは、これまで、静岡を皮切りに、東京や関西で「表現の自由」に関する講演会を開催してきましたが、今後も活動を継続していくために、皆様からの寄附を必要としています。

 次の世代に自由な社会と豊かな文化を伝えるため、ぜひ御協力くださいませ。



気になる動きもあります。うぐいすリボン代表のツイートによると、表現規制反対団体へ直接的な攻撃を行っている動きがあるようです。


ogi_fuji_npo 荻野幸太郎@表現の自由(うぐいすリボン)
表現規制に反対している小さな活動団体の役員さんたちに、今、猛烈な圧力が加えられています。得体の知れない連中に郵便物を荒らされたり、仕事を追われたりといった信じられない事件も耳に入ってきました。このままではいけない、何とかしなくてはという思いから、資金力の強化を決断しました。



ogi_fuji_npo 荻野幸太郎@表現の自由(うぐいすリボン)
残念なことに私たちは、「表現の自由を不当に奪わないでほしい」と、当然の権利を主張するためだけに、身を削って政治に影響を及ぼさなければなりません。理不尽ですが、それが現実です。「うぐいすリボン」のイベントにぜひ御参加ください。そして可能であれば費用負担を分かち合ってください。



ここ最近の検閲派の人々の露骨で非常識なツイートや発言を見ていたので、いつかはこういう直接攻撃という暴力を行う検閲派が出現すると思っていたので、不思議でも何でもありませんが、「やはりな・・・」とは思います。

たるい氏のサイトにも攻撃があったようで、なにやらきな臭い動きがあるみたいですね。

tarui_yoshikazu たるい良和
最近、HPの不具合が発生するので、技術者が調べてくれたらサイバー攻撃受けてるらしい…
22時間前


そういえば、最近も某反ポルノ団体がウィキペディアで無茶な要求をしたこともありましたね。

人を人とも思わない、自分の信じる価値観を強要して恥じることのない人々が良識や人権を口にしながら行う卑劣な攻撃に遭遇した仲間のためにも、自分にできる範囲のことをしたいと思います。

テーマ : 表現規制・メディア規制
ジャンル : サブカル

石原都知事がTwitter工作をするとは考えにくい

Twitter連投はバカのすること
石原都知事に利益はない

ツイッターを覗いてみると、「石原都知事がツイッター工作をしていた」というツイートが盛んに流れていました。元ネタはこちらですね。


石原都知事がTwitterで工作活動をしていたことが発覚www
http://arukugamu.blog70.fc2.com/blog-entry-3107.html


石原都知事がネット工作?






画像を見ていただくとわかるように、複数のアカウントが同一の内容を、さも別人のように連投していることがわかります。
ですから、工作に見えなくもありませんが、結論は違うといえます。




犯人はおそらく「国士気取りのおバカさん」

結論を先に言えば、石原さんや側近の工作である可能性はきわめて低いといえます。
理由は簡単です。

1 比較して調べればすぐ発覚することであり、リスクが高すぎる
2 こんなことをしても票に結びつくわけでも支持につながるわけでもない
3 そもそも工作としては影響力が小さすぎて意味がない

というのがその理由です。

あらかじめいっておきますが、私は今でも例の都条例問題などでの石原都知事や猪瀬副知事の発言や態度は許していないし、永遠に許す気も、好意的に評価することももはやありえません。

ですが、そのことと、何でもかんでも疑わしければ根拠もなしに批難するというのは違うことだと私は思っています。批判はあくまでも事実に基づいて行われるべきです。

その上で、この「工作」について考えてみると、皆さんすでに薄々感づいていると思いますが、おそらく犯人は「国士気取りのおバカさん」あるいは「愛国おバカ」のような個人でしょう

 都条例のときにも、やたら「愛国」だとか「憂国」だとかを根拠に石原都知事や自民党の態度をやたらと擁護し、反対派を中傷していたツイートが大量に流れていましたが、その中には別のアカウントであるにもかかわらず同じ内容であったり、同一のアカウントが時間差で連投していたりするのを皆さんも何度か見かけたことでしょう。

 こういう人物は、別に組織の命令や団体の業務で行っているわけではない場合がほとんどでしょう。
理由は、実に簡単で、本当の工作員なら、こんわかりやすいスパム行為などせず、正々堂々と名を名乗りテレビや雑誌、ニコ動などのチャンネルなどを行使してメディア攻勢をかけるに決まっているからです。
 つまり「もうちょっと洗練された宣撫宣伝」をするはずと言うことです。
 組織に属することもなく、あるいは、組織にいてもあてにされないような人物が、個人的な義務感から独自にやったおバカな行為、と考えるのが最も自然な結論だと個人的には思っています。




自称「国士さま」「愛国者さま」は依存がお好き


 では、なぜ自称「国士様」や「愛国者様」がこういうことをするのか、説明せよ、と言うことになるかと思います。
 よろしい、説明しましょう。

自称の方の「国士様」や「愛国者様」は、自分のなかにコアになる思想を持っているわけではありません。自分で調べたり、考えたり、判断したりするわけではないのです。

 たいていの場合、「自分は愚民とは違う、世の中をよく知っている賢者であり、愛国者なんだ」という根拠のない自尊心が引き金となり、こういう行為に及びます。

 自称「国士様」や自称「愛国者様」はコアな思想を持たないために、自分が「愛国者」や「本物の政治家」と認めた人物の発言や思想を、さも、自分の思想、発言のように考えます。

つまり、特定の人物に思想的・思考的な依存をするわけです。

そして、対象となる人物の発言は常に正しく、自分が依存する人物に対する批判や批難は自分に対する批判とおなじものと考えます。

石原都知事に思考的に依存している人物は、石原都知事が「カラスは白い」といえば白いのです。
「カラスは白い、理由は石原さんが言ったから」「石原さんは常に正しいので、カラスが黒いというのは、反石原の陰謀」となるわけです。

当然、こんな人物はまともな人物ではないので、依存されている石原都知事も相手にすることはありません。
ですが、自称「国士様」は、頼まれてもいないのに石原さんを擁護し、持ち上げることが自分の使命や義務のように感じるのです。

「反石原の宣伝工作で騙された愚民どもに、正しい情報を教えてやることが正しいことだ。なぜなら石原さんは常に正しく、それを100%信じる俺も、石原さんと同じように優秀な愛国者なのだから、愚民どもを啓発する義務と権利が俺にはあるのだ」

といった具合です。

本当は石原都知事が今の思想や発言に行き着くためには長い人生と政治家としての経験に裏打ちされたものであってこそなのですが、自称「愛国者様」「国士様」はそういう面倒な経験はせずにカジュアルに思想をしたような気になりたいだけなので、こういう方向に向うことは容易に想像できることです。

 今回の「工作」をした人物も要するにこういう方向に行き着いちゃった人であり、「俺のような情報強者が、無知蒙昧な愚民ドモを啓発してやろう」というつもりで、こういうおバカなことをやってしまったと考える方が自然でしょう。

ですから、

「石原を貶めて攻撃してやろう」

というものでも、

「石原都知事が自分のために工作をした」
というのも、どちらも間違いでしょう。

「国士様気取りが、石原都知事への批判を自分への批判のように思い込んで、自分なら石原都知事の「正しい情報」を流して反石原世論を押さえこめると思い上がってスパムをばら撒いた」

というあたりが正解ではないでしょうか?


もっとも思想的な依存は、何も「国士様」だけにかぎらず、リベラル陣営にもありうることです。
たとえば反原発のためなら何をしてもいい、と言うことにはなりませんし、表現規制の問題だって同様でしょう。

ただ、この思想的・思考的依存の度合いが、最近右側に非常に多い印象が強いのは私だけでしょうか?

高校生ぐらいなら仕方がないとしても、大学生や社会人でありながら、そういう思考の仕方をしているのであれば大問題です。

 自分でも時々そういう方向に思考が向きかけることがあるので自戒したいところです。

テーマ : 表現規制・メディア規制
ジャンル : サブカル

大阪市交通局バス事業は貴重な財産なのですが・・・・

公共交通「だけ」が黒字を求められる不思議
橋下大阪市長がバス事業の「分離」を検討

秋田と無関係な記事ばかりなのですが、さすがに納得行かないことがあったので。
大阪のことなので無関係といえばそうなのですが、公共交通に関する話とあっては無視できません。

橋下大阪市長は、赤字が続く交通局バス事業を地下鉄から切り離し、場合によっては「倒産」させるという方針だそうです。

たしかに、余計な不動産事業に手を出したり、高コスト体質なのは自治体が運営する公共交通全般に言えることで、問題であることは確かです。

しかし、本来、自治体の公共交通は民間では運営困難な路線や、都市計画、都市行政のために採算性よりも利便性を優先して運営しなければならない路線などを維持するために存在するはずで、究極的にいえば、「自治体負担100%」で運営されるべきものです。ただ、公平な負担のために、運賃を徴収することはあるでしょうけど、「水道は赤字だから廃止しよう」とか「学校は利益を生まないから民間に売却しよう」ということにならないのと、本質的には同じことです。


その上で、まず、納得いかないこと、1つ。

よく、「バスの運転手の年収が1000万なのはおかしい」という批判がありますが、批判はどういう意味なのでしょう?
「たかがバスの運転手に1000万も払うのはおかしい」というニアンスがそこに含まれていませんか?

それは、「バスの運転手」と言う仕事を見下している意見です。
「収支状況を考慮すると、人件費が運営費を圧迫している」ということであるならまだいいのですが、単に運転士を「たかがバスの運転ごときに・・・」という考えでこういう発言をしているようにしか思えない人をよくみかけます。

人の命を載せ、街の営みに深く係る公共交通の運転士は、当然、民間であろうと公務員であろうと使命感と厳正な執務が要求されるはずです。そうでなければ誰も命を預けたいとは思わないでしょう。
であるならば、それに見合う報酬は支払われてしかるべきです。
その報酬が事業の規模や財政に照らして適正化かどうかは判断していくべきですが、「運転士に高給を与えるな」という前提で議論を進めるなら、たんなる職業差別でしょう。


 納得いかないこと2つめは、「なぜ公共交通に常に黒字を求めようとするのか」ということです。

最初に述べたように、自治体運営の公共交通は、民間では採算の合わない、あるいは、採算よりも利便性を優先するような路線を維持するためにこそ存在します。

黒字採算になるような路線は、黙っていても民間事業社が路線を開設するからです。

それゆえに、欧米などでは、公共交通が赤字であることを前提で運営されています。

例えば、アメリカ・サンディエゴの「サンディエゴ・トロリー」は運営費の全てを運賃でまかなっているわけではありません。運賃収入のほかに、自治体からの補助があります。

つまり、日本規準で言えば「赤字」であり不採算ということになりますが、当のアメリカでは「時代遅れだったはずの路面電車が、運営費の8割近くを運賃でまかなえるほど人が乗っている!」と驚かれています。

自動車大国であるはずのアメリカでも、このような考え方をもとに公共交通を復権させ、LRTやBRTを中心に整備をすすめています。都市の中心部を維持するために、「無料」のトロリーまで運行している街もあります。

欧州でも、どうようにLRTや鉄道・バスを拡充していて、日本で認識されているような「欧米は車社会だから公共交通は誰も使わない」とか「欧州は古い城下町が多いから公共交通が使われている」とか、そういう事実はないのです。

橋下市長の言っていることは、今からおよそ30年ほど前に欧米で「このままではいけない」と捨て去られた「公共交通軽視・車優先」社会そのものです。
なぜ、すでに失敗とみなされた概念を、大都市大阪に持ち込もうとするのか、私には正直理解できません。

橋下市長は、大阪を世界に誇る大都市にすると公約して選挙に臨んだはずです。
私としては、その結果の最初の結論が「これ」だということに深く失望しています。


バス事業としてはむしろ先進事例の「大阪市バス」

公共交通に興味のない方には理解できないかもしれませんが、大阪市のバス事業と言うのは、むしろ先進的で、お高く評価されています。

たとえば、「大正都市新バスシステム」では、日本では他に採用事例のない「張り出し型バスベイ」を設置し、違法駐車車両による乗降支障や定時走行の妨げを防いでいます。

100円運賃の「赤バス」は武蔵野市のムーバスにならぶ「コミュニティバス」の有名な事例ですし、地下鉄とバスの運賃を連続して計算し割り引くのは大都市の交通局ならではの制度です。

同じように大都市で地下鉄を運営する「福岡市」では、西鉄バスとの乗り継ぎ運賃はありませんし、東京でも東京メトロ・都営地下鉄と路線バスとの乗り継ぎ割り引きは企画キップや定期券以外にはありません。

大阪市のバス事業は市民にとって重要な財産であり、公共財です。

もし、市長の言うとおり「採算性」を重視するなら、こうした市民の利便性のために存在する各種制度は「不採算の元凶の一つ」ですから廃止になるかもしれませんし、民間へ売却、あるいは民営化すれば、こういう不採算な事業は当然切り捨てることになるでしょう。

 たしかに、そうすれば大阪市の財政は多少は潤うかもしれませんが、そのかわり、こうした制度を利用していた公共交通利用者は「財政健全化」のために切り捨てられ、街はより不便に、車を持たない人々や外来者につめたい街になっていきます。

 公共交通を軽視した街がどれほど不便か知りたければ、一度秋田市を調べてみるといいでしょう。

 こういう街がお好みだというのであればよそ者が口を出すことではありませんが、そういう街を私は魅力的だとは思いませんし、お金を落として観光しようと言う気にもなりません。

テーマ : 鉄道
ジャンル : 趣味・実用

結局は言いっ放しですか 国際赤十字戦争ゲーム規制問題

ツイッターから消されたとあるつぶやき

国際赤十字での会合で出された「戦争ゲーム検閲」をすすめると受取られかねない発言。
結局は、国際赤十字が検閲疑惑に「ノー」を明確にしました。

どんな事件だったかは、規制二題 2ch撲滅作戦と国際赤十字に載せてあります。

おそらく、「国際赤十字がゲーム表現に介入するとはどういうつもりか」という批難が集中したのでしょう。

その証拠に、日本でこの問題が取り上げられて、赤十字国際委員会(ICRC)駐日事務所のツイッターアカウントから、あるツイートが消されました。
その内容は、こちらです。

@icrc_tok 赤十字国際委員会(ICRC)駐日事務所
2011.11.15 14:47
遊び感覚で敵を殺したり爆撃してポイントを稼ぐテレビゲーム→http://bit.ly/vgXUcY。バーチャルな世界で体験する戦闘にも、やはり戦時の”ルール”や”規制”は必要です。11月28日からの赤十字国際会議では「テレビゲームと人道法」に焦点を当てたイベントも開催します。



なぜ、このツイートが消されたのかは、もうおわかりですね。
問題になったからでしょう。

消すのなら、訂正なり、釈明なりすればいいのに、それもありません。

さて、このツイートを見て気がつくことがあります。
それは、本家はともかく、少なくとも、駐日事務所の広報担当者は、この国際赤十字の会合の意見を明確に検閲を要求する目的であったと認識していたということです。

それは、「遊び感覚で敵を殺したり爆撃してポイントを稼ぐテレビゲーム」という言葉で証明できます。
明らかに、対象となるゲームについて否定的な、より正確に言えば、存在自体が不道徳であるという認識をしていることがわかります。

国際赤十字のホームページで主張する通りであれば、「バーチャルな世界で体験する戦闘にも、やはり戦時の”ルール”や”規制”は必要です。」という書きかたにはなりません。そこで主張されていたのは規制ではなく、戦時国際法を正確にシミュレートしろというもののはずだからです。

非常に問題だと思うのは、駐日事務所の広報担当者はゲームを一方的に悪者扱いしておきながら、訂正するでもなく、言いっ放しにしていることです。

ここでも、「ゲームは根拠なく中傷していい、ゲームであれば他人の表現活動に介入してよい」という風潮が蔓延していることを表しています。
人権や自由を擁護すべき団体がこういう認識なのですから実に頭が痛い問題です。

これでは、まるで、人権だの良識だのを口にしながら他人に罵声を浴びせる一部の自称フェミニストとなんら変わりません。


とはいえ、「本家」の国際赤十字が検閲や規制を主張をやめたり、駐日事務所が証拠隠滅をはかったのは、やはり批判が集中したからでしょう。それを受け入れたのは、検閲派団体よりははるかにマシといえます。

最近では、検閲に対して風当たりが強くなってきたように感じます。
今回の一件は、それを象徴する出来事なのかもしれません。

テーマ : 表現規制・メディア規制
ジャンル : サブカル

ヘイトスピーチ禁止法で得をするのは権力者だけ

ヘイトスピーチ禁止法はそのまま「検閲法」になる

 世の中には「世間が知らない事実を知っている俺はカッケーから、一言ズバットと言い切っちゃうもんね」という思想を恥ずかしげもなく披露したがる人が後をたちません。

 最近でも、普段「良識」だの「差別禁止」だのを言い募り表現規制を推し進めようとしたどこぞのおバカさんたちが、障害者を盛大にdisってるという、本当に意味不明な現象が一部で失笑と物議を醸し出していました。

 誰かを差別主義者だと指弾して、それにより「正義で綺麗な自分は神のように他人の人生を決め付ける権利があるぜ!」という傲慢な思い込みを補強したいという困った人物が世の中にはたくさんいるのでしょう。

 さて、件の「青プリン」先生こと早川先生が、福島の農家などにたいしていろいろお茶目な発言を繰り返しているそうです。誰がどうかんがえても福島の農家がオウム真理教な、わけは無いのですが、目に見えない思想フィルターを介してみると、私とは違う景色が見えるのでしょう、きっと。理解はできませんが。

 ここでは、早川先生の発言の内容や行動については、あえて触れません。

問題としたいのは、早川先生の発言により、一部に起こった「ヘイトスピーチ禁止法」を求める考え方です。

「誰かを差別する(とみなされ得る)発言をしないように、法律で禁止しよう」と言う素朴な考えかたですが、その考え方は、どこかで聞いた考え方です。

この考え方は、そのまんま「性的な表現は有害だから禁止しろ」という検閲主義者の人々の意見とおなじものです。

「いや、私は差別を禁止しろといっているだけだ」「表現を禁止しろとはいっていない」と反論するでしょうが、それも、検閲派が「性犯罪描写だけを禁止するだけだ」「検閲ではない、描くな売るな公開するなといっているだけだ」と反論するのとほとんど同じです。

 今回の早川先生の発言に反発している人の中には表現規制に反対している人も多数含まれていますが、率直に言って「ヘイトスピーチは言論ではないから禁止しろ」と「表現規制に反対する」という意見の両立は成り立たないのではないか、と私は考えます。




ヘイトスピーチは差別だから忌避されるのではない

 ヘイトスピーチは差別だから禁止されるべき、という考え方もあるでしょう。
ですが、「差別ゆえに禁止」であるというのであれば、この世の差別表現を含む一切の言論や表現活動は禁止されることになります。

 では、「不快だから」禁止なのでしょうか?
だとすれば、誰かを不快にする表現はやはり、たとえ創作物であっても禁止されるべきと言うことになります。


 私は、「不快だから」「差別だから」、そういう発言を禁止するという考え方には全く同意できません。

ヘイトスピーチが忌避される理由は、その発言をする側が、差別の対象となる人への迫害や差別が現実となることを望んでいて、それゆえに実害が生じる可能性があるから、だと私は考えています。

 じゃあ、土崎の考えるヘイトスピーチの定義はなんだ、と言うことになると思いますので、私がヘイトスピーチであると判断する定義は、

「実在するある特定の名宛人または、実在する具体的な属性の集団に対し」
「差別や迫害を現実に行う事を公然と主張し」
「その主張を不特定多数に同調することを求める」
「具体的な言論の発露」

だと考えています。

 だから、例えば、小説やマンガでレイプや殺人、差別行為を表現させても、それは「差別や迫害を現実に行う事を公然と主張し」「その主張を不特定多数に同調することを求める」という点が該当しないのでヘイトスピーチに当たらず、

 一方で、以下に穏やかな発言であったとしても、例えば「在日朝鮮人の全ての皆さんを強制的に北朝鮮に帰っていただくようにすべきだ」、あるいは、「自衛官は軍国主義者の手先とも言えるので、大学に通うことは憲法違反だから実力で阻止すべきです」のような発言は、私の中では全て「ヘイトスピーチ」といえます。

今回の早川先生の発言は、
「差別や迫害を現実に行う事を公然と主張し」
と言う点に私の中では疑義があるので、ヘイトスピーチとは私は考えません。
私としては「無配慮と自尊心に基づく暴言」だと捉えています。

 その上で指摘しておきたいのですが、「汚染された土地で生産された農作物は汚染されている可能性がある」ことは事実ですが、その責任は、事故を起こした「東京電力」と「原発推進派」にあるのであって農業従事者にあるわけではありません。
 今は放射能で汚染された土地で農作物を作るな、という人は、長期間にわたり耕作・管理を行わなかった田畑がどうなるかしらない人でしょう。
 
 都会の人や農業について知らない人はわからないかもしれませんが僅か1年でも耕作を放棄した田畑はほとんどの場合で雑草が生い茂り作付けに大きな費用と労力を必要になります。ですから、たとえ売れなくなるかもしれない、とわかっていても、それだけを理由に作付けを行わない、という選択肢はなかなか取りにくいのです。

 ですから、本来、早川先生が主張すべきは「汚染された作物や畜産物を全て国と東電で買い取れ!」というものだったはずです。それなのに、責任の主体と被害者を履き違えた上に、本来の被害者を罵倒したことが問題となるのであって、言い方が悪いが本当のことを言っているからいいじゃないか、とはいえないんだと考えます。

 つまり、何がいいたいかといえば、「不快だから」「差別だから」特定の発言が許されない、ということではなく、言い方の問題でもなく、ヘイトスピーチの問題は、単純に実害が生じることを期待しているか否かの問題につきる、ということです。

 そして、それはすなわち「内心の発露」でもあり、これを禁止するようなことを求めるという行為は「思っていてもいいが、口にしたら罰する」ということ、すなわち「思想・信条の自由」への明確な侵害といえる、と私は考えます。



ヘイトスピーチ禁止法は本当の差別者を罰せない

なにより、ヘイトスピーチ禁止法の最大の問題点は、言論や表現の自由を制限する法規制は、常に、権力を持たない市民に向けられるのであって、その規制は権力を行使する側が発動するという点です。

 このブログをお読みになるような方は、昨年や今年度初めごろ、青少年条例に絡んで行われた石原都知事や都庁側に付いた検閲派団体の人々が、数々のヘイトスピーチを繰り替えしたことを忘れていないはずです。

 そして、そうしたヘイトスピーチを行う側は、常に「子供の人権」だの「女性の権利」だのを口実にして、実際には、その対象の権利や意見を封殺していたのは記憶に新しいところです。
 「お前は痴漢されて喜んでいるのだろう」などと検閲を要求する議院が女性議員に罵声を浴びせていたにもかかわらず、検閲派の規制の根拠は「人権」なのです。

 漫画家や作家の「差別的」表現について青少年条例などで介入しようとする一方で、それをする石原都知事や検閲派団体のヘイトスピーチはなんら罰せられてもペナルティも与えられてもいません。

 このことからもわかるように、ヘイトスピーチ禁止法を作れば、石原都知事のような権力を持つ側が力を行使して、「差別的な発言をする者」を検挙する一方で、自分自身は「言論の自由」「政治家の信条」「民意」を盾に検挙を免れようとするでしょう。

 このことはすでにマンガやアニメを規制する一方で、同じような内容の石原都知事の小説についてなんらの規制もゾーニングもなされていないことで証明できます。

 ゆえに、ヘイトスピーチ禁止法は、世の中のヘイトスピーチをなくすことには全くつながらないのです。




言論には言論で、実害には訴訟で対処すべき

以上の理由から、私はヘイトスピーチ禁止法と言うものを作るという考え方に賛同できないのです。

そもそも、ヘイトスピーチの「差別的」とされる部分は時代と環境により容易に変動すはずです。
例えば、今現在は「世界を支配するユダヤの糞共をアウシュビッツに送れ!」というのは完全な「ヘイトスピーチ」になりますが、第3帝国時代のドイツでは、それはヘイトスピーチではなく、政府の方針に従う「良識的発言」であり「本当のこと」だったはずです。

この逆も然りで、「有害なマンガを焼き、有害な作家を糾弾しろ」と言う意見は、いまから半世紀近く前には、それを警察が後押ししていたのですが(いっておきますが、戦後の話ですよ)、いま、その意見を「良識」とはいわないでしょう。

 それと同じようなことはいくらでも起こりえるわけです。
理論が正しいかどうかではなく、時の権力者や風潮の変化で、今「良識」とされるものが来年には「差別」であると一方的に糾弾される可能性を考えておくべきです。

 「ヘイトスピーチは言論の自由ではない。だから禁止していい」というのは、「性表現は表現の自由ではない、ゆえに禁止しいい」ということとおなじことであり、それに同意することは、あなた自身の言論や表現を、全く同じ理由で禁止することに同意するのこととおなじことです。

 あなたの発言を「言論ではない」「表現の自由ではない」と一方的に決め付けられても、それを無批判に受け入れることを強要される事に同意できる人だけが、「ヘイトスピーチ禁止法」に同意すべきであり、そうでないのであれば、たとえ自分から見て不快であったり、同意できない表現であったりしても、その存在の自由自体は守らなければなりません。

表現の自由とは、自分が不快であったり、嫌いであったりする人や表現、言論の存在を受容することを条件に、あなたの思想や表現、言論も同様に存在を社会に受容させる権利のとです。

 すなわち、表現の自由や言論の自由は少数者の思想や表現を保護するために存在するのであって、大多数の人に好ましい表現や言論を守るためにあるのではありません。

 なぜなら、大多数の人が「是」とするものは、黙っていてもそれは守られるからです。

 ヘイトスピーチを法で禁止すべきだ、という意見はこの事実を完全に無視しています。
 実際問題として、ヘイトスピーチを法で禁止する国で差別がなくなった聞いたことがありません。
フランスで定められた公共の場所でのイスラム女性のブルカ禁止などは最たる例でしょう。

 法により、少数意見や少数者の存在を、大多数にとって不快だからと言う理由で禁止したり抑圧する社会は、必ず不寛容と排除の風潮を作ります。

 言論に対しては言論で対抗し、特定の名宛人に対して行われた言論で実害が出た時には、告訴権者が訴訟で反撃することで対抗すべきです。
 そのためには必要なのは、損害を回復するための「手段」なのあって、検閲や禁止ではないはずです。
逆に言えば、明らかにヘイトスピーチであっても、実害が生じない限り自由であってしかるべきです。

 あなたにとって「不快」で「不愉快」な表現こそがあなたの自由を保障するのです。
 なぜなら、あなたの意見も他人から見れば「不快」で「不愉快」な可能性があるのですから。

テーマ : 表現規制・メディア規制
ジャンル : サブカル

プロフィール

Author:土崎みなと
略称は「つっちー」らしいです。

秋田県を本拠にする自称「社会自由主義者」のオタクさん。古くはPC98時代からパソコンに触れ道を踏み外したかわいそうな人。


妙に法律を知っている風を装うのは法学部にいたから。

4コママンガ誌をこよなく愛し、水道橋に足を向けて寝られない日々。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
このブログのカウンター数
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR